2009年07月03日
2009年05月12日
「天地人」機に!
米沢市笹野の上杉家葬礼場跡
米沢市笹野にある米沢興譲館高校の西を走る道路に面した畑に、高さ2mほどの円柱が立つ。削られた面に「上杉家葬礼場跡」と記されている。江戸時代、この場所では上杉家藩主の葬礼(葬儀)が行われた。御廟所と違い史跡らしいものは他に何もない残っていないため知っている人は少ない。これはもったいないと、地元の有志の方たちと、上杉家葬礼場としての歴史的価値を重視し、史跡整備を行いました。

■石積みし、ウコギの植樹を行いました。
■作業風景■





米沢市笹野にある米沢興譲館高校の西を走る道路に面した畑に、高さ2mほどの円柱が立つ。削られた面に「上杉家葬礼場跡」と記されている。江戸時代、この場所では上杉家藩主の葬礼(葬儀)が行われた。御廟所と違い史跡らしいものは他に何もない残っていないため知っている人は少ない。これはもったいないと、地元の有志の方たちと、上杉家葬礼場としての歴史的価値を重視し、史跡整備を行いました。

■石積みし、ウコギの植樹を行いました。
■作業風景■





2008年08月29日
上杉の智将 直江兼続 ②
○兼続六つの強運
【第一の強運】
兼続が父に連れられて坂戸城に行った折、利発さを謙信の姉で政景夫人の仙桃院に見出され、子供の景勝の小姓に取り立てられたこと。
【第二の強運】
景勝の父、政景が舟遊び中に溺死する事件があり、子のない謙信の養子となり、春日山城に引き取られ、兼続も景勝について春日山城に行く。まもなく謙信が急死し、景勝は後継者になり、兼続は側近として重き役につく。兼続にとって、上杉家の内部での登場という晴れ舞台になった。
【第一の強運】
兼続が父に連れられて坂戸城に行った折、利発さを謙信の姉で政景夫人の仙桃院に見出され、子供の景勝の小姓に取り立てられたこと。
【第二の強運】
景勝の父、政景が舟遊び中に溺死する事件があり、子のない謙信の養子となり、春日山城に引き取られ、兼続も景勝について春日山城に行く。まもなく謙信が急死し、景勝は後継者になり、兼続は側近として重き役につく。兼続にとって、上杉家の内部での登場という晴れ舞台になった。

2008年08月27日
上杉の智将 直江兼続 ①
○兼続の出自
樋口余六(後の直江兼続)は現在の新潟県南魚沼市(坂戸城下)で、樋口惣右衛門兼豊の長男として生まれた。兼続誕生の年は桶狭間の戦いがあり、翌年には川中島大合戦(信玄と謙信の一騎打ちがあった戦い)があった。
兼続の父は謙信の一族である坂戸城の城主、長尾政景の家臣だが、地位については見解が分かれて明確ではないが下級武士だったとみられている。
如何に戦国の世とはいえ、下級武士の息子が太閤秀吉に気に入られ、徳川家康を恐れさせるほどの武将になるには、実力とともに強運の持ち主であった。